いろいろ

絵頭って何?

絵は人類の起源

絵は人類の起源

人類が生まれて始めに表現する行為を知っているでしょうか?泣き笑いは別として、初めて個人の感情を表現するのは絵なのです。絵といっても造形を描くのではなく、ぐるぐるの落書きです。文字や図形は教育から生まれるものであって、感覚から生まれるものではありません。試しに1歳児ぐらいの児童にペンと紙を与えてみてください。親がペンの使い方を試して見せてあげると、まずはぐるぐるから始めるでしょう。ぐるぐるとはペンを自由に走らせる行動です。自分の手を動かす範囲内でいったりきたりす行動がぐるぐると縁を描く軌道の行動半径になり、紙の上に右利きなら時計回り、左利きなら反時計回りの円を描き始めます。これは教わることではなく、手と腕の動く範囲で行われる運動に連動した行動半径を表現した行為だと考えられます。人はまず表現を行うときは感情や感覚から入り、次に理性が伴うことは人に備わった本能ではないかと思うのです。

絵を描くことというのはとても自然な行為であり、誰もが持っている感覚の表現なのです。人が成熟し感情や感情が発達するに連れ、羞恥心からくる恥ずかしさが芽生え、この素晴らしい感覚を閉ざしてしまいます。絵を描くことはとても自然な行為だと気づけば、下手だろうが上手かろうが関係なく、表現の一部として使うことができます。絵は理解を深めるための道具として最適な表現です。少しづつで構わないので是非ペンを持って描く行為を思い出してください。

 

  

探す時間(旅)

探す時間(旅)

 

いろいろな考え方を身につけるには、五感をフル活用するのがベストです。

見ること嗅ぐこと触ること、つまり体全部の機関を使って感覚を取り入れ、感じたことを経験値として積み上げていけば、その積み上げがいつか物事の判断材料へと繋がっていきます。

もちろん、多くの書物を読んで他人の経験や文献も参考にしますが、僕はやはり自らの経験が多く詰まっていた方が、物事を判断するとき、良き材料として自分自身を納得させてくれると考えるのです。

今もネットの情報だけを鵜呑みにせず、僕は自分の感性でモノを見て感じることに重要性を置いているののです。

芸術やデザインのジャンルで生きている人は、ほとんどがこの五感で感じたことを排出し、形や色に置き換えて表現することが多いと思います。

感性や感覚を軸に置いた職業を選ぶ人は、自分の素直な表現を題材にして、絵を描くこと、歌うこと、踊ること、演じることに喜びを見つけ出せる能力を持っているのではないでしょうか。

では、五感をより感じるのはどのような行いが良いことなのかというと、それは旅に出る事が手取り早いのだ!と私は考えます。

僕は大学2年生の時に初めて海外旅行に行きました。

初めて訪れた国はインドネシアのバリ島という神の住む島。

この神の宿る島には、特徴のあるガルーダやガネーシャ、シヴァなど多くのヒンデゥー教の神が祀られています。

バリ島には友人3人と訪れたのだけれど、僕は初めての海外ということもあって、成田空港からテンションはマックス状態、何もかもが新鮮で、成田空港のフライトスケジュールを知らせる掲示板を見たとき瞬時に頭をよぎったのが黒柳徹子さんと久米宏さんが司会をする歌のベストテンでした。

もうこの出発前の時点で、おおお!これは!って感じです!

こんな感じでテンションの高いスタートから始まる旅行は、僕の人生の経験値を豊かにするのにぴったりな教科書でした。

バリ島という島は、正直カルチャーショックの連続で、貧富さの激しい街並みや、南国特有の人々の様子、物売りの勢いを目の当たりにすると、楽しさから胡散臭さまでが一気に押し寄せてきます。

直感的に感じたことは、テーマパーク内のアトラクションを体験しているような、そんな風景と光の光景が目の前にあったのです。

その中でも、クタというバリ島の南西部に位置する街を歩いた初めて夜は印象的でした。

街灯のない暗がりの繁華街のはずれまで歩くと、木々の間にトタン屋根とベニヤ板だ仕切られた建物が点々としていて、建物内では蛍光灯が煌々ひかり、雑然と土産物が並べてあった。

繁華街の外れはみな同じような建物で、遠目には店なのか、ただの家なのか、屋台なのか見分けがつかないような粗末な作りの建物が並んでいるのです。

80年代後半のバリ島はまだ旅行客も少なく、まだまだ整備された観光地とは言い難い光景が多く残っていました。

僕が育った東京という街は大都会で、まず大災害が起こらない限り、暮らしてく上で不自由さを感じたことのない街です。夜の繁華街で真っ暗な場所を見つける方が難しいぐらい。

だけど、今自分が立つ目の前の光景はどうだろうか。

おそらく、日本の田舎道に行ったって、ここまで雑な作りの店や家は見たことがない。(バリ島の人ゴメンなさい)

物珍しさと好奇心いっぱいでさらに歩き進めると、突然鼻腔に飛び込んできたのが焼き鳥なのか、何を焼いているのかわからない店から漂う香ばしくて甘酸っぱい香りでした。

あっという間に匂いにつられ、ふらりとトタン屋根の店に入り、食べることにチャレンジしたのです。

もちろん事前にしっかりと学習したガイドブックには、屋台での飲食は、お腹を下すことがあるので要注意との文脈があり、忘れたわけではない。

しかしガイドブックに書いてあるから、じゃーやめよっかというのならもっと都会のレストランへ行けばいいだけの話なのだ。

そこは好奇心旺盛な若造達なので、そそくさとバラックの中にある手作りのテーブルについた。

当時は英語のメニューはあったのか忘れたけど、ビールと焼き鳥、そのほか2,3種を食べた記憶がある。

アルミのペコペコのお皿の上に無造作に置かれた焼き鳥風串焼きや、フルーツサラダのようなもの、あと揚げ物もあった気がした。

さて、翌日、案の定トイレの往復。見事に大当たりだ。原因は不明。汚いコップだったのか、あのペコペコのアルミの皿だったのか、それともフルーツのようなツマミだったのかわからないが、見事にチャレンジはそのままガイドブックに書いてある通りになってしまった。

旅の疲れもあったのだろう、そんな洗礼を受けた5日間のバリ旅行から帰って数ヶ月、今度は1人でニューヨークへ行ってみることにしたのだ。

なぜニューヨークかというと、単にNYが好きだから。理由はいつも直球だ。

と言いながら、80年代はポップアートの全盛期、NYを舞台に繰り広げられたポップでいたずらっぽいアートが大好きだったのだ。

中でもキースヘリング(90年エイズによって永眠)の地下鉄に描かれた落書きが見たくてたまらなかったのだ。

80年代後半のNYは最も危険な街とされていたのだけれど、若気の至りもあり好奇心いっぱいで出発したのでした。

もちろん地球の歩き方を右脇に抱え、ハーレム街やサウスブロンクスなど危ないところは近づかないようにしながらも、よくよくガイドブックを見ると、地下鉄にはなるべく乗らない方がよ良いという情報が載っている。とくにローカルサービスオンリーの電車は観光客は乗らない方がよいといった文脈が丁寧に書いてあったのだ。

そんなこと言われてもと考えつつ、キースが絵を描いていたのは主にローカルのぼろっちい電車だった。

42stあたりから地下鉄ホームに降りたときは、まるで映画のスクリーンの中へ入り込んだような空気が感じられた。

鼻をつくアンモニア臭が漂うホームに入ってくる電車を何本か見ていると、リアルにきったない落書きだらけの電車がやってきたのだ。

まさにガイドブックによる乗ってはいけない電車だ。

確かに黒人しか乗っていないような車両は汚いのレベルをはるかに超えて、窓から中を覗くのも精一杯といったぐらい、傷とスプレーで書き殴られていた。

そんな中にあったのだ。あの雑誌や画集で見た紛れもないキースヘリングのペンキによる落書きが。

すでに上からほかの落書きが沢山重ねられていたのだけれど、紛れもなくキースのタッチだった。

これを見た時は怖いとか汚いとかいうダークでダーティーなイメージよりも、ポップアートのリアルな力強さを肌で感じ取った瞬間だった。

時代背景も手伝ってか、自分の欲しかった経験は、多くの知識と判断力、好奇心とチャレンジ力を身につけさせてくれたのだ。

このような経験は、その後僕の考え方に大きな影響力を与えている。

間違いなく異国への旅は、プラスな考えを蓄えさせてくれたのでした。

 

 

 

さかなくんの説明がすごい!

さかなくんの説明がすごい!

 

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

年が明けて6日がたちました。あっという間の1週間。

皆様新年の初夢は見ましたでしょうか?

私は富士山の頂上から降りてくる夢を見ました。なぜ降りてくるシーンなのかはわかりませんが、降りてくる途中で古い町に寄り道して、その町を見学して感動する夢でした。その後も4本立てぐらいの夢を見たのですが覚えているのはそれだけ。素敵な街だった記憶がうっすらとですが今も残っています。

さて話は変わりますが、年明けのバラエティー番組を見ている時にふと気付いたことがありました。それはさかなくんの絵に関することでした。

さかなくんはご存知の通り、東海大学で教鞭をとりながら全国各地でさかなの素晴らしさを伝え、バラエティー番組にも出演しる、マルチタレントといってもいい人物です。

さかなくんがさかなを説明をしている時に必ず絵を描いて説明するのですが、これが非常に伝わりやすくわかりやすいのです。一般的に人が説明をする時は、ことば巧みに解説をするか、文献や解説図を事例に出しすのですが、さかなくんの場合手書きの絵がメインなので、さかなの表情から色彩、動きに関する動作の構造や骨格までもが手にとるようにわかります。写真だと全体が見えてしまうのですが、絵は必要な部分を強調して抽出するため、理解をしやすいのだと思いいます。

いつもこの説明をTVで見ていると絵の持つ力は本当に強力だと確信を抱きます。特にさかなのようなどれも同種に見えてしまう生き物は、よく生体を知らない我々から見ると、きちんと絵を使って説明してくれるさかなくんの解説は、細かなパーツの違いや動作、泳ぎ方や特徴までもが生き生きと伝わってきます。またオスメスの違いや、食物連鎖の構造までも丁寧に解説をしてくれるので、ついふむふむと頭をもたげてしまいました。

このさかなくん式説明の方法は様々な分野でも活用できるのではないでしょうか?

絵を描くというより、絵を使用すると説明に一味もふた味もスパイスが加わること間違いないですね。わたくしも今年はさかなくんに負けないようにより多くの理解者を増やすべく絵頭を活用していきたいと思います。さかなくん方程式を活用してより解説の達人になりたいですね。

そんな件りですが、どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

 

 

一つのものから10の創造

一つのものから10の創造

 僕の持論の一つに、一つのものからなるべく多くの情報量を引き出す方法があります。それが「1つのものから10の創造」です。

これは想像するのではなく、創造という言葉を使います。

例えばりんごを表現するために必要な材料を拾ってみましょう。

表現するものは、絵でも文章でも写真でも、りんごを表わす時にりんごが一番輝くポイントはどこにあるのか、りんごの不利な状況はどこなのかを表現するために、そのモノ(今はりんご)が一体何者なのか、ということを理解するために選び出す項目です。

僕は知っている、僕は当たり前だと思っているモノ(今はりんご)を、本当のところはよく知らない、知っているのは表面の薄っぺらい部分だけで、知ったかぶりをしていることはよくあることなのです。

実は、りんごをどこまで理解しているのかというと、大きな疑問が湧いてくる。

項目を選び出す前に、こんな話をおもいだした。

浅葉克己さんという有名なグラフィックデザイナーの話の中で、卵の話が僕の考え方に深い影響を与えたことがあった。

その話は浅葉さんが卵を使った仕事を請け負った時に、自分が卵を表現するには、どのようにしたら卵の一番良い部分を引き出せるのか、といった内容の話だった。

卵を知るには自分が卵の気持ちになるしかないと自らに言い聞かせ、数週間にわたり毎日卵を観察し、いろいろな卵料理を食べ尽くし、卵のことしか考えられなくなるまで食べて調べて表現し続けたという話を聞いたことがある。

その話には尾ひれがついているかもしれないけれど、それにしても卵愛に徹する周到ぶりには頭が下がってしまう。

俳優さんも過去の歴史人物を役として演じる際に、その人物になりきるため、人

物の歴史から、衣装、言葉遣いまで調べる役者さんは多いいと思う。

さてさて、自分はどうだろうかと考えてしまった。

話を元に戻すが、たとえば、りんご。

りんごの持つ情報を10抽出してみましょう。

抽出の仕方は様々で良いです。見た目からくるもの、食べた感じ、種類、産地などなんでもいいので、そのモノの持つ情報を思考が枯れるまで洗い出します。

もちろん10でなくても構いません。10は僕にとってたくさんを意味しているから10にしているだけで、まぁ両手の指で数えられる限界ということですね。

1,おおよそ丸い外形=見た目、2,赤い色=色彩、3,甘い=味や香り、4,5角形=図形、5,品種=知識、6,ジュース=応用、7,一本の木から百個以上取れる=現状把握、8,産地=地理、9,原産国=歴史、10,食べごろ、値頃=相場観。

これがりんごから考えられる10の概略です。もう一度整理すると、見た目、色彩、味香り、図形、知識、応用、現状把握、地理、

歴史、相場観。

もちろんこれらの抽出は個人的な考えなので、それそれの感じ方、捉え方が違って当然なので、一度自身でどれだけ出せるかやってみるとモノの理解度が深まること間違いなしです。

例えばりんごの歴史を調べれば、原産地は中央アジアの山岳地帯とされています。すでに紀元前にはナイル川のほとりで栽培されていたようです。

また種類はというと、日本国内では1,000種類以上、世界では25千種もあると言われています。

しかしもっぱら僕が食べるのはサンフジの一種類だけ。

歴史や品種を調べると、りんごについて知らないことが多いいのだなぁと考えさせられてしまいます。

少なくとも一般的に売られている510種類ぐらいのりんごを食べておくと、ウンチクが少しは語れるのではないかと考えるわけです。

それ以外では言葉を抽出しても面白いです。

日本=りんご、英語=Apple、中国語=苹果、韓国語=사과、チェコ語=Jablko、トルコ語=Elma、ハイチ後=Pòm、ロシア語=Яблоко。

発音もわかりませんし、おおよそ僕の役に立つとは思えない言語がありました。

世界では言語が違えばイメージも捉え方も違うので、この辺りの情報は、興味に応じて探し出し、自分のトリビアとして溜めておくと話題に事欠くことはないでしょう。

モノの情報をつぶさに調べれば、深い興味が湧き愛着の度合いも変わってきます。

多くの情報同しを紐づけして自身の深い記憶に止めれば、観察力の深さ、洞察力の深さが必ず役に立つ場面が訪れます。

 

 

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自分レシピの作り方

自分レシピの作り方

さてなんだろうかと思う人は多いいはず。

これは僕の考えるアイデアレシピのこと。

レシピとは、料理の材料を調理する時の段取りのことなので、僕はこのレシピをそのままアート作品にしてしまおうと考えたわけです。

具体的に何をするかというと、毎朝5時に起きて1時間ほどウォーキングをします。

その道すがら、直感的に綺麗だな!面白い!なんだろう!と視覚に飛び込んでくる葉っぱや枝、街灯の下で息絶えた

黄金色のカナブンなど、おおよそ目につくものは、片っ端から左手に持つ袋の中へ放り込みます。

もちろん、片っ端からといっても鋭い眼光で品定めをして綺麗な落ち葉を拾います。

一時間も歩くとかなり取れるかと思えばそうでもなく、やはり歩きながら目にするものは一瞬の判断力に委ねられるので

ウォーキングといえども気を許しません。

かといって、毎日とるわけではありません。なぜならば毎日取ってしまうと似てしまうからです。

とっても月に2どぐらい。

少ないと感じると思いますが、このぐらいでないと、季節感を感じることができなくなってしまうので、毎日見ている

草木が色ずいたなとか、花が咲いたなとか、日常の様子を伺いながら歩いています。

花がどどっと咲く季節は題材が多くて楽しいです。逆に冬は皆同じ色味になってしまい、そんな時は無理に取らない方が良いので

採取しません。

本当は日本全国津々浦々で採取したら面白いことでしょう。高度の違う場所や、海辺など条件の違う場所で見つける草花や

拾得物は私の大好物なレシピになるでしょう。

そんな時の気持ちはというと、まさに子供目線。

何かいいものはないか?今日の獲物はなんだろうと、一日1時間の散歩も楽しみが湧いてきます。

視点を変えることは、考えに非常に大きな影響を与えます。

レシピを作る目的で葉っぱや枝を見る。

良いものがあれば採取する。これだけで歩いているだけでも様々な思考が働きます。

お!ナナカマドが色ずいてきたなとか。

アサガオは早い時間がきれいだな〜とか。

もしこのレシピのことを考えなかったとした何を考えているかというと。

あの部屋の人もう起きてるとか、洗濯物出しっぱなしだな〜とか。

今日の仕事はどこまで進めようかとか。

何着て行こうかなとか、おおよそ目につくマンションや住宅の灯りや風になびく人工物。

自分のこれからの時間を考えて行動することでしょう。

それらも悪いことではありません。しかしせっかく早起きして人が少ない道を歩くのだから、いつでも考えられることは

やめて、景色や植物に目を向けることが僕は好きなのです。

そのおかげで、冬の寒空の時期に1ヶ月以上咲くミモザの花をしりました。

あるおたくの庭に咲く大きな枝振りの花が、少しずつ黄色い花を咲かせ、満開になった後もずっとしていました。

周りの風景がグレイッシュな中で、黄色い力ず良い色は、ただでさえ部屋から出たくない冬の真っ暗な朝5時に

元気をくれます。

さて、持ち帰った花や草、葉っぱやカナブンはどうするのかというと、白いホーローのバットの中に整列させます。

大きさ形、色合いを見ながら選別していくのです。この時間も帰ってからの楽しみです。

几帳面な僕は小さなピンセットで一つ一つ形を整え揃えていきます。

ブルーの花の隣は、青々とした葉っぱがいいかなとか、薄いピンクの花びらがいいかなとか、場所を入れ替え、品を入れ替え

拾っている時の感覚とは違った、色彩感覚と造形感覚をフルに活用して整えていきます。

言葉で書くと凄そうですが、なんとなく全体像が綺麗に見えるように並べているだけです。

正直、知識がなくたって誰でもできます。

この程度のことをやっているだけでも、色彩感覚や形の良い悪いの見分け方、木や花の知識がついてくるのです。

このぐらいのゆるい毎日の行動の中でも、続けていればいつの間にか情報量は膨大な数になっていきます。

レシピを考えなければ、ミモザの花を知らなかったし、アサガオの綺麗に咲く時間帯も差して気にしていなかったことだと思います。

 

 

 

車の顔が面白い!

車の顔が面白い!

先日明治神宮で行われた、ラフェスタ・ミッレミリア2015 クラッシックカーの祭典なのですが、個性的な車のフェイスが面白かった。

車も顔があった時代だと考えさせられた。今の車はどれも同じ!人もそうなってしまうのか?

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スマートイルミネーション2015

スマートイルミネーション2015 

10月30日(金)〜11月3日(火)にて、光の落書きを展示します。真っ暗な会場に蓄光シートのボードを持ち込み、ブラックライトペンで思う存分光の落書きを楽しんでください!私は3日に会場にいます!

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週末キャンプ行ってきます!

週末キャンプ行ってきます!

そこで、昨夜子供と作戦会議!といっても、昼について昼メシから始まり、翌朝の朝食までを子供お食べたいものを聞き出し、その場でラクガキ!キャンプなのでざっくりイメージしか描きませんでしたが、そんな感じと2人で盛り上がってしまいました。簡単でいいのでイメージが伝わる表現を是非家族で試してみてはいかがでしょうか?

 

越後妻有アートトリエンナーレ2015 Part2

越後妻有アートトリエンナーレ2015 Part2

古民家の壁を漆喰で真っ白に塗り、現代にも使える室内に注ぐ小さな窓からの日差しです。四畳半の部屋に小さな窓ひとつ。昔の人は暑さに強かったのだろうか?それとも寒さをしのぐあまり窓を少なくしたのだろうか?

 

越後妻有アートトリエンナーレ2015

越後妻有アートトリエンナーレ2015

先日、越後妻有アートトリエンナーレへ行ってきました。集落の民家や空き家をアートスペースに変えたり、農村地に大きなオブジェが置いてあったりと、スケール迫力共に見ごたえのあるアートイベントでした。仕事の絡みで伺ったのですが、正直見るほうも必死です。暑さと格闘し、場所と格闘しとある集落のモグラの家を見ているときは本当に倒れそうになりました。作者さんも訪れるお客様に丁寧に説明をしてくれるのですが、クーラーのない廃校の一室で説明する作家さんを応援してあげないといけませんね!

サーキャンプへ行こう!

サーキャンプへ行こう!

夏だ!アウトドアだ!そんなとき、持ち物リストを描いてみよう!道具の名前だけでなく、できるだけ思い出して絵で描いてみまそう!その紙1枚が夏の思い出になります。じっくりと思い出しながら、週末の楽しみを考えて!

 

わかればいい、落書きスケッチ

わかればいい、ラクガキスケッチ

打ち合わせの時、人に見せなくても自分が理解できるようにいつもささっと絵で描いている。これは後で見返してもイメージがダイレクトに甦るので雑でいいから描いてみるといいです。

 

さがせばどこにでもヒントはある

さがせばどこにでもヒントはある

朝摘みレシピ と題して、朝散歩の時にちょっとだけ雑草や、河原に生えてる花の花びらを摘んで並べたもの。

日常目にしている物でも改めて場を変え、並べ方を変えて見せ方をかえるとちょっとちょっとだけアートっぽさが見えてくる。

そんな日常に目を向けてはいかが?

 

イメージを目覚めさせるには、考えず素早く描いてみること

イメージを目覚めさせるには、考えず素早く描いてみること

絵を描く事のチャレンジ!それは考えない事。考えるとどうだったけ?やっぱ無理。となって絵なんて苦手だし、言葉でいいじゃんとなってしまいます。そこで、素早く描いてみる。とにかく描いてみる。形なんて関係ない、思いついた変な形でも描いてみる。そのうちあ〜こんなだたっけって思い出します。まずは描く。これが基本です。普段使わない頭を使うので、疲れます。頭が苦しくなります。これがよいのですね。右脳をフルに使ってみてください。左脳ばかりではなく、左脳の思考を閉じて右脳だけで思うがままに描いてください。うまくないからではなく、下手でいいのだから、まずは動物でも描いてみましょう。例えばオオアリクイ。描けますか?ほとんどの方が無理というでしょう。でも言葉から連想する絵を描いてみてください。考えずに感覚でよいです。きっとおおしろい空想の絵が出来上がるでしょう。これがイメージの始まりまです。イメージとは空想の中でぼんやりとした雲のようなんものを現実に形に見立てる事。この見立てが勝手な絵なのです。では次に極楽鳥花を描いてみましょう。言葉のイメージはすごいですよね。きっとものすごい花が思い浮かぶのではないでしょか?そんなイメージトレーニングを繰り返すと、右脳で物事が見えるようになります。で日お試しを。

 

 

 

 

内科医の先生の話

内科医の先生の話

先日、知り合いの内科医で、ワイズクリニック(南麻布)を経営していらっしゃいます米田先生より、こんなメールをいただきました。

先日京都大学で内科医が行う認知行動療法のセミナーに出ていたのですが、ある種の病気になると、自分の感じている症状(つらいはずなのに)にすら気づかず、それを言葉で表現する事すらできない人が多い、という話題が出ていました。言葉や文字がダメなら絵で!!なんて展開が出来るのではないかな、と思います。」

なるほど、我々健常者は話す、描くなどの行為に対して何も考えずに行動を起こしています。しかし、ある種の病気を煩っている人は、当たり前ができずにいる現状があるのだと。知る事は解決の糸口を作る事です。自分の思いを描いて表現するだけで、しらかなかった事を知り、表現が解決の糸口になるかもしれません。そんな事に気づかされたメールでした。今後も米田先生とはコンタクトをとって、医療の現場でも絵が役立つ事を模索していきたいきたいと思っています。

 

 

新文化に掲載させていただきました。

新文化「出版界唯一の専門誌」に掲載させていただきました。

 

 

考え方のコツ

考え方のコツ

とにかく思いついたことを描いてみよう!

うまく整理しようとか、そんなことは後回しにしてとにかく描いてみよう!イメージが消えないうちに!

 

 

幸せについて考えてみる

幸せについて考えてみる

イーエル大学の准教授エミー・ウェズニスキーはこんな事を言っている。人々は自分の仕事を「労働」「キャリア」「天職」の3つのうちのどれかにとらえているという。仕事がただの「労働」にすぎない場合、ちゃんと給料をもらえるが、ほとんど週末の楽しや趣味だけのために生きている事になる。仕事を「キャリア」ととらえている人は、昇進や成功を目指し、より見栄えのする肩書き、大きなオフィス、高い給料を得るために長時間働く、つまりより深い意義を追求するのではなく、目標を一つずつ実現していく事に専念するわけだ。最後の「天職」と考える人々は、仕事を単なる手段と見なすのではなく、心からのやりがいを感じている。つまり職業としてやっている事に個人的な充実感を抱いているのだ。何が言いたいのかというと、キャリアや地位に関して一番重要なのは、他人がつける価値ではない、あなた自身が自分の仕事をどう見るかだ。大事なのは、あなた自身の夢、情熱、天職なのだ、と。これこそが個人の幸せというものだ。

 

ぶらりラクガキ探し

ぶらりラクガキ探し

昨日仕事帰りに、銀座伊東屋にぶらっと寄り道してきました。わたくしステーショナリー好きで、ペンやノート、その他文房具を見るのもいじくるのも好きなんです。昨日は伊東屋の他に、ロフトと東急ハンズのステーショナリーコーナーも見てきました。文房具ってどこも一緒って思いがちですが、少しずつ仕入れが違うと置いてあるものは当然違うのですね。なかでも伊東屋さんは年配向けが多く、手紙はハガキ等が充実しているように思えます。それと、ステーショナリーコーナーに行くといつも思うのですが、悩んで真剣に書き味を試したり、ノートや手帳をずっと端から見て行くのって圧倒的に女性が多いですね。確かに予定を書き込んだりペンを色とりどり使うのは女性の方が多いのではないでしょうか?さらにそこでいつも気になるのが試しのメモ帳をよく見るのです。わたしも必ず試し書きを描き込みますが、意外とそれだけ見ていても面白いですよ。ぐるぐるばかりかいているのも多いですが、前に描いたぐるぐるを絵に変えていたり、絵を描いた人の絵にラクガキしてあったりと、その過程が色とりどりのペンで書いてあって、けっこう奇麗なんですね!スクラップしたいぐらいです。各々の方が自分の好みのペンを選んで描くので、各々の気持ちが入っているのです。興味のない人はそもそも描かないので、わりと雑でも線にこだわっていたり、滑らかさにこだわっていたりと、人によって描く視点が伝わってきます。特に面白いのが新宿の世界堂のペンコーナーにあるメモ帳。7割近くが漫画です。ホント面白いです。それぞれが描きたいモチーフを描いてその上に別の色で違う事を描いてあってと、色とりどりのラクガキが繰り広げられています。これが伊東屋になると、ぐるぐると滑らかな線だったり、秋葉原の有隣堂に併設してあるペンコーナーの試し書きは文字が多かったりと少しずつ違うんです。ステーショナリーコーナーだけでもこれだけ個性のあるラクガキが見れるのですね。是非日常の視点を変えてお店に立ち寄ってください。きっと毎日楽しい事を見つけられるはずです。「挿絵は損紙に描いたラクガキ」

 

 

 

ただひたすらに馬鹿になろう

ただひたすらに馬鹿になろう

バッカじゃねーの!って言われると、普通はむかっときますが、私の場合、どうでもいい事を話してバッカじゃねーのって言われると、しめしめ!と思うのです。このどうでもいい話というのは、例えば勝手な空想と現実をつなげたり、もしも?シリーズであるような、架空話などをリアルに決定的に話すとたいていその反応が返っています、でもこの勝手な想像ほど面白い物はないのです。友人と話しているときにその会話の内容から、その友人の将来像を勝手に創造し、作り上げて、それいいね、じゃーこうなったら面白いよ、そしたらきっとこうなるしって、勝手に個人の将来像を決めつけるのです。しかもストーリー立てて。私の中ではそれがものすごく映像化されていて、その人の映画が作れるぐらい鮮明に頭の中に出来上がるのです。他人にとっては俺の人生勝手に決めんじゃねーよと言われますが。がしかし、このような勝手なストーリーほど、私にとっては真剣で面白いのです。馬鹿になれ!とはこの真剣にどうでもいい事をストーリ立てて考える、そこがすばらしいと思うのです。理由は、どうでもいい事ほどすらすら考えられるからです。利害関係や、金銭的な問題、先輩後輩などが絡めば絡むほど、ストレートな考えは出てこなくなるのです。だからこそ、くだらない話を真剣に話す、どうでもいいラクガキを一生懸命描く、そこにこそリラクスした状態の思考が働くのです。馬鹿になれとは、複雑な関係性を外して自由に話せる環境、表現できる環境を自ら進んで持つ事ができれば、その行為が幸せな毎日得る状況につながっていくでしょうという事。どうでもいい話や、ラクガキを描いても楽しく、お互いが馬鹿にし合える環境造をしてください。きっとそこには小さな幸せが潜んでいると思います。

 

自らのハードル

自らのハードル

自分のハードルってありますか?こんな事がクリヤーできれば自信がつく。あの人と話したい。あそこへ行きたい。高いけど買いたい。このような事はすべて自らがもうけている自分の内なるハードルではないでしょうか?ではどうしたらクリヤーできるのか?ハードルを認識しクリヤーするには始めの一歩を踏み出すだけ。本当は簡単な事です。すぐにでもできます。しかし自分が壁を作ってしまっているだけで、本当は誰にでもできる事なのです。怖いと思う事から逃げていてはハードルはいつまでたってもクリヤーできません。詩人で随筆家のラルフ・ワルド・エマーソンは「怖いと思うことをしなさい。さすれば恐怖は確実に去る」と述べています。すべて消え去るかどうかは難しいが、自らが怖いけどやってみるといったスタンスをとれば、自ずと恐怖は消えていきます。始めの一歩を確実に始めれば、2回目はスムーズに足が運ぶでしょう。目標を低く定め、まずは10歩までとか。また、プライドが邪魔してそんな事できる訳ないだろう。と思っているときも同じ事が言えます。自らの持つプライドという恐怖が動き出すのです。エマーソンの言う「怖いと思う事をしなさい。」という格言は、どんな場面でも当てはまるでしょう。知らない場所で道を訪ねたり、わからないことをわからないですと言えたり、今まで敬遠していた習い事を見に行ってみるとか。日常で頭の中を巡る悩める思考を実験するためには、この一歩が大切な役割を果たすのです。

 

さーキャンプへ出かけよう!

さーキャンプへ出かけよう!

もうすぐ夏がやってきます。さ〜皆さん、外へ出て大いに遊びましょう!その前に、しっかり計画を立てましょう。そこで重要なものは何ですか?お金!当然です。場所!当然です。道具!そうです、すべて考えてから行動しましょう。楽しいスパイスについて書きましたが、ではどのようなときにスパイスを有効利用すると良いか。具体的な例を一つだけ。私の行っている方法は旅のしおりを作る事!1泊2日以上の旅行は計画書を作ります。家族が楽しめるという事もあり、しっかりとした計画表を作ります。どのレベルで作るか?旅行代理店が発行するぐらいきちんとしたものから、手描きのラフラフまで様々ですが、一応、作る側も旅行に出かける前から楽しめる利点もありますし、もらった方もフムフムとにやにやしながら見てくれるので、それはそれで楽しいです。もちろん計画通りに事が運ばない事もあります。ま〜それは現地に行ってからのお楽しみ。話を戻しますが、キャンプに出かける時の道具って、意外と現地についてから、あ!あれ忘れた!今度買って行こうと思ったのにって事がよくあります。私の場合ですが。そんな事を少なくするためにも、絵を書いてしっかり道具のチェックをしていきます。自分のまわりで必要なもの、テントまわりで必要なもの、食事まわりで必要なもの。その他遊び道具等、今回はどんなキャンプスタイルで行こうかなとか、その時々によって持ち物を限定しても面白いです。そんな時はとかく絵が役立ちます。後で見ても楽しいです。自分で想像しながら絵を書いていると、キャンプ場にテントを張って皆で楽しくご飯を食べている映像が浮かんできます。なんかワクワクしてきますよね。このワクワク感がとても重要で、楽しい事を様々な場面で作り出すと自然と日常が楽しくなってきます。想像の段階まで進んできたら、後は描きだすだけ。物を見なくたって想像でかまいません。持ち物を言葉で書いてから、絵でリストだししてみてください。きっとそのしおりは捨てられない思い出になるはずです。「挿絵は、キャンプに持って行く道具たち」

 

楽しいスパイスをふりかけましょう

楽しいスパイスをふりかけましょう

朝、河原を歩いているといろんな考えが湧いてきます。今瞬間の事、歩く道すがら見たもの、朝食の事、順を追っていろいろ今日明日、昨日のストリーが次から次へと流れて行きます。そんな中で自分はいつまで生きられるんだろうかと、ふと思いました。なぜそんな事を思ったかというと、ここ数年で住んでいる街が様変わりしました。しかもものすごく変わったのです。15年前に引っ越してきた当時の二子玉川は、まだ駅名も二子玉川園から変わったばかりで、園がガムテープで覆われているようなのどかな駅でした。駅前は広大な敷地にいぬたま、ねこたまがあり、片田舎の駅前ロータリーが広がる世田谷のはずれでした。ところがここ3年ぐらいで、すべてが変わり、巨大なショッピングモールとタワーマンションが立ち並び風景や風の流れまでもが一変してしまいました。そんな町並みを横目にのどかな河原を歩いていると、この新しい風景が街になじむのはいつだろうかと!そう感じる時、いったい何歳になってるんだろうとふと思うのです。もうすぐ50歳、男性の平均寿命が80.21歳だそうです。そうすると平均値で生きて30年。そう、もう生きた分生きられないのですね!ま〜まともに思考が働いて動けるのが20年でしょうか?え!短い!もうそれしかないの?基本的に楽天家の私も深く考えるとぞっとします。20年前って行ったら1990年代、バブルでうはうは楽しんでいた時代だよ。なんて考えてしまうのですね。そうやって思考を巡らすと、毎日をいかに楽しむかについて考えなくては!と思うのです。いや、考えるのではなく楽天家になろうと。短い人生の中で楽しめる事を増やすのはとても大切な事です。嫌いだからさけていた事も、いざ年老いてから始めると楽しかったり!久しぶりに嫌いだった友人とあったら楽しかったり。すべては時間が事を変えてくれます。時間の流れは早いです。でも急げ急げではなく、自分の時間で出来ることを淡々とこなして行くだけ。そこにスパイスとして楽しみを加えましょう。楽しみはスパイスで良いのです。そうしないと、楽しさも続くと普通になってしまうから。スパイスはいつもと違うひと味がおすすめです。そう、絵お描きましょう!ラクガキしましょう!手を動かしましょう!目の前にある手で何かを作ったのはいつでしょうか?スマホとPCをいじる毎日にスパイスを加えましょう!きっと「楽しい」という味な1日が完成します。私の場合、あと30年、きっと早いのだろうな〜「挿絵はキャラのラクガキ」

 

自分に潜む恐怖

自分に潜む恐怖

デビット・ケリーの話の中であった、恐怖の克服について掘り下げてみます。日常性格の中で恐怖を感じる事ってありますか?答えはノー!そう、例えば電車に乗って会社へついて打ち合わせして、仕事して。学生なら遅刻すれすれで授業に出て、うとうとしたら昼飯。のんびりなもんです。こんな生活の中には恐怖という言葉は無縁に思えます。しかし、考えている恐怖とは、突然地震がくるとか、地下鉄内が真っ暗になって止まってしまうとか?そういったたぐいではないのです。デビットの言う恐怖とは、自分の中に潜む恐怖であって、他人から植え付けられた恐怖、つまり自分には元々備わっていない外的要因からくる閉塞感を恐怖に例えているのですね。自分にはそんなこと言えない、そんなことは怒られるからできない、ルールを破っては行けない。つまり、蓄積されたいわれのない内なる恐怖なのです。これは誰でもが持っています。こんな事言ったら出世に差し支える、やった事がないからできない、彼女にふられたらどうしよう、これらはすべて内なる恐怖です。この恐怖を改善できれば、人は自由への一歩を歩む事ができます。がんばったから出世ができた。告白したらOKしてもらえた。だめ元で言ったらわかってもらえた。すべて恐怖からの克服であって、この達成感を味わうと、人は恐怖から解放され自由を手に入れる事ができます。絶対に無理!怖い!できっこない!と強く思うと、それが自分を洗脳し信念になってしまいます。そうなってしまうと、すべてがうまくいかなくなるでしょう。そんなときは描きだしてください!すべて描きだすと、面白いですよ!自分ってこんな事考えてるんだとか。この人とは仕事がうまく行かない、なぜ?噛み合ない事を絵と文字で書き出すのです。なぜ文字だけでなく絵をつけるか?それは文字よりもビジュアルが強いからなんですね。言葉の力は巨大です。でも絵は伝わりやすく和みます。理解しなくても絵は頭に図の認識として入ってくるので、何となくでも伝わるのですね。だから少しでもイラストが入っている本は読みやすかったり、難しい歴史構成は、漫画で伝えると人物像がはっきりと認識できるのです。どんなに腹立たしい事があってもディズニーランドへ行けば、誰もが微笑ましくなります。なぜでしょうか?ビジュアルのイメージが統一しているからなんです。つまりおとぎの国へやってきたという認識が、目から情報として入ってくるので、文章でディズニーランドとは?と読まなくても、視覚で洗脳させられるのですね。それだけ視覚で認識できる情報は、理解しなくても何となくイメージで伝わるのです。人間は一日60000回物事を考えると言います。その思考は常に別の事ではなく、堂々巡りも多いいでしょう。自分がいつも思っている事、常に頭の中で整理できない事は、一度絵や図で描きだし、ビジュアルで整理するとわかりやすいので自分でも理解度と納得度が早くなります。特に忘れたい事ほどずっと記憶に残る物です。これも描きだして整理すると、すっきりします。なぜかというと記憶を描き止めると安心感が生まれ、忘れてもこれを見れば思い出すからと、忘れていくのです。描くことはイメージの伝達です。自分の中に閉じ込めた内なる恐怖を描きだしてすっきりさせましょう!「挿絵はビジュアルのイメージは潜在意識に働きかけるの図」

 

 

NHK「まれ」

NHK「まれ」

あまちゃん以来ずっと朝の連ドラを見ています。なんかはまってしまって、見ずにはいられなくなっている自分がありました。今春からスタートした「まれ」。パティシエに憧れるまれが、子どもの頃から広告の裏側に、ケーキの絵と共にそのレシピを書き綴っているのだけれど、同様にマシェリシュシュの見習い浅井和也も勉強ノート(ルセット)にオーナーパティシエ池畑の考えたルセットを書き綴っていましたね。職業にもよりけりですが、絵がないと成立しない会話や、勉強法はあると思います。まれが言葉からイメージしたケーキの絵を想像で描いていたり、想像で描いた絵を見てこんなまずくない!という話になったり、絵は一瞬で人の気持ちを動かす力を持っています。イメージがダイレクトにつながるからですね。また描いた絵を見返すシーンも多いですが、自分の描いた絵だとその時の感じたイメージも戻ってきます。このイメージの原点回帰も絵ならではの特徴だと思っています。絵は言葉以上に視覚へダイレクトに訴えかけるので、イメージを忘れることがありません。それだけ潜在意識に入りやすいのです。絵を描く事は本当は自然なことで、表現の一部として用いれば、より言いたい事がダイレクトに伝わるし、なにより、ヘタ(ユニーク)であればある程、「何それっ?」と、その絵がきっかけで笑顔と、更なるコミュニケーションが深まります。無口に真剣にうまく描く必要はないのです。話しながらこんな感じ?あんな感じ?もっとわかりやすく!など、徐々にコツをつかんでいけば、自然と表現の一部になってくるはずです。「挿絵は思案中ラクガキ」

 

ラクガキって

ラクガキって

ラクガキって何?町中の看板や電柱に描いてあるやつでしょ?そうです。辞書を引くとラクガキ(楽書、落書)は、描くべきところでない場所に描かれた文字や絵と処してあります。でもあれはいたずら書きのこと、ここで話すラクガキは、楽に描く行為を日常に取り入れましょうという事。絵とか図というと、ものすごく構えてきれいに描かなくてはいけない、うまくなくてはいけない、分かりやすくと考えながら描くと、描けなくなってしまうんですね。だから楽に簡単で下手でいいからとにかく描いてみる。昔話で恐縮ですが、黒電話が一家に一台しかなかった頃、その脇には必ずメモがありました(少なくとも我が家にはあった)そのメモは、たわいもない話をするときに格好の手持ちぶたさの餌食でした。耳は電話に集中しているので、手の感覚だけでどうでもいい絵をぐるぐると描いては、電話を切ったあと、何だこりゃって思った記憶があります。また、授業中に新渡戸稲造さんの写真を見て、誰かがゴルゴ13に描き変えているのをみて、うまいな〜と思った記憶がありました。つまり、特別意識をしなくても何となく描いてしまう物がラクガキであって、誰でもいつでも表現できるものなのです。これを少しだけ仕事や日常に取り入れると、興味の対象が湧きやすく、打ち合わせなどは話のとっかかりになるのです。こんな感じで、とか。これとこれが必要です。と簡単な絵を添えるだけで、わかった!とイメージが伝わりやすいのです。あまり意識しすぎると絵はうまく描こうとするので、伝わる事だけを意識すれば、うまくなくたって十分です。余談ですが、私が子供の頃に、何だこれ?ってよく思っていた絵に、矢追順一さんのUFO番組に出てくる宇宙人を見た人の再現の絵がありました。こんな形の宇宙人がいたんです!ってとんでもない絵が現れて、すっげ〜何だこの宇宙人ってそのとんでもない下手な絵を見て創造力だけが膨らみ、5人ぐらいが描いた絵が出てくるのですが、みんな違うんです。太ってたり、やせていたり、目だけやたらでかかったりと、でもイメージは伝わってきました。あ〜通常の人ではないのだなって。それでも必死にイメージを伝えようとしてる人の勇気に共感を覚えた記憶がありました。絵は意外と描けるものです。下手だから人に見せるのなんて恥ずかしいと思わなくても、気軽に表現の中に入れると、その部分は誰も気にせず、あ〜わかりやすいね!って事になると思います。ぜひ、まずは人に見せなくてもいいので表現の幅を増やすつもりで描いてみてください。「挿絵は楽に描くイメージ」

 

創造力と想像力

創造力と想像力

Wikipediaによると、創造(そうぞう)とは、新しいものを産み出すこと。創作発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。創造力を育むには「退屈な時間」が重要と指摘されている。

想像力(想像する能力」とも呼ばれ、心的な像、感覚概念を、それらが視力聴力または他の感覚を通して認められないときに、作り出す能力である。)

さて、同じ発音の言葉、どちらも同じような意味合いで考えてしまいがちだが、かたや何か具体性がある物と、一方、感覚だけの物とに分かれるような気がします。この二つの言語、想像力(創造力)を働かせて考えてみよう!と日本語では簡単に言うけれど、意味合いはかなり異なってきます。英語では、創造力はCreativity、想像力はImagination、全く違った意味合いを持ちます。言葉は一言ですが、説明しないとわからない言葉は数多く存在します。コミュニケーションは言葉や、文字を使って多くを語られ、書き綴られてきました。イメージを絵にしてみろって言われても具体性がないので、なかなか絵でも表現できない物もあります。そんなときは図でも十分です。例えば想像(もやもやした図)した物を創造(明確な図形)する。など二つの図と言葉の組み合わせでもより言葉の違いを伝達する事ができます。文字と絵や図を組み合わせる事は、簡単な物で十分です。複雑な説明をしなくては伝わらないような言語を、より簡単な図や絵で解ける事を、創造してみてはいかがでしょうか?「挿絵は創造のラクガキ」

 

デヴィット・ケリー

デヴィット・ケリー

IDEOの創設者で、スタンフォード大学教授のデヴィット・ケリーはTEDのプレゼンテーションの中で、ダクディーツについて語っています。話の中で、MRiを怖がる小児科へ来る子どものために、ダクディーツ(MRI開発者)はMRIの部屋ごと冒険心あふれる装飾を施した所(He turned it into an adventure for the kids.と言っています)、麻酔を打たなくては受けてもらえなかった子どもたちが、8割から1割に減少したと言っています。ケリーの語る、想像力の欠如は恐怖心からの欠如であって、克服すれば誰でもクリエイティブな人間になれると説いています。全くその通りだと思います。絵を描く、スケッチを描く、物を作るなど自分で何かを表現する行為は正直恐怖でしょう。人から何を言われるのか?ほめられるのなら良いですが、笑われたり、けなされれば一生トラウマになって描く事、作る事を否定するでしょう。でも恐怖心から解放されれば誰でもが想像豊かな生活を送れます。またケリーは、恐怖からの克服する行為を「guided mastery案内付きの習得」として、心理学者バンデューラの話を引用しています。これは、徐々に少しずつ誘導される事で恐怖心の心を説いて行くと言った方法です。想像を働かせ創造性豊かな暮らしをする上で必要なことは、恐怖から克服し、自ら、もしくは他社の引導によって何かを生み出す事です。身近なものでも、仕事でも何でも良いと思います。出来るならばマニュアルから逃げ、自分の頭で最良のアイデアを考えて、自分の思う通りに創造性豊かに暮らせる事を望みます。是非苦手なもの、逃げているものから少しずつ克服する事を試みてください。「挿絵は、ダクディーツが創造したMRI」

 

絵は解決の糸口

絵は解決の糸口

誰でも悩み、問題をかかえています。私も少なからず悩みや問題を抱えています。といってもそれが自分の人生に大きな影響を及ぼすかというとすぐには影響する事は少ないでしょう。でも、あれが気になる、これをやっとけばと思考の中には常に浮かんだり沈んだり、街を歩いていると突然ポッと現れたり、神出鬼没で思考は気まぐれです。常に頭の中に神出鬼没の悩める思考が出入りしていて集中力が出ない人は、絵を解決の糸口とすると、意外と問題点の核が見つかります。まずは、紙の中心に現在の自分を描きます。そこから四方に悩んでいる内容、考えている事などをぐるりと書き出します。これは言葉と図を使うとわかりやすくなります。出てきた自分を取り巻く問題点のさらに外側に、原因と発生を描いていきます。いつから考えているのか・そもそもの原因は何だったのか?できるだけわかりやすく描きます。相手がいる人は似顔絵でもいいでしょう。なるべく細かく、今の思考に残っている事をすべて描いていきます。さらに、どうしたら解決できるのか理想をその外側に描いていきます。これも夢物語でいいので描いていきます。そのような鳥瞰図のラクガキを描くと、自分が普段何を考えているのかがまとめてわかります。思考は一つ一つしか考えられませんが、絵や図に表すと思考の全体像が見えてきます。そうすれば、解決の優先順位、これとこれって悩みが似ているとか、同じ事ばかり考えてるとかいろいろな事が見えてきます。そうすると次ぎに何が起こるかというと、今まで考えていた事が、客観的に見えてくるのです。この客観性が非常に大切で人の悩みや問題というのは自分の事と違うので、客観的なアドバイスが行えたりしませんか?同様に自分の事でも一度外に出して俯瞰で眺めると、客観的に見る事でき、解決の糸口が見えてくるのです。根深い問題や、どうにもならない事ももちろんあります。それでも描き出すと、外に出しただけで思考を視覚で確認できるので、また違った見え方で考えられるのです。もちろん、解決できるかどうかは自分次第です。そこから何だこんなことだったのか?とか、あれを買えば解決だな!とか、一度彼(彼女)に話してみようとか、メールに託そうとか、アイデアがきっと出てくるはずです。考えるだけではなく、自分の思考を一度表に出してみませんか?「挿絵はラクガキ仕事術で用いたイラスト」

想像力を鍛えよう!

 想像力を鍛えよう!

想像力って何だろうって考えた事ありますか?妄想力とも言うでしょう!こんな自分になりたい、あそこへ行きたい、これが欲しい、こんな仕事がしたなどなど、自分の持っていない物や姿を思い浮かべて将来獲得できる自分に重ね合わせるのが想像です。想像はすばらし!なぜなら現在の街の姿や、着ている洋服、乗っている車、飛行機、電車、食べている野菜や果物に至るまで、すべて人が想像力によって生み出した物だからです。嘘でしょ!って思うかもしれませんが本当です。大成建設に勤めているときに私の仕事はプランニングをする事でした。将来こんな街ができたらいいな、こんなビルが建ったらいいなという、未来構想のプランニングです。それを数十年後には変わっているかもしれませんが、現実に街の構想になったり、テーマパークができたりしています。詳しくは守秘義務があって書けませんが、現在のユニバーサルスタジオを日本に誘致したのは我々のチームです。当時は名前がハリウッド映画村でしたが(笑ってしまいますね)。当時、東映映画村というのが鎌倉あたりにできてにぎわっていたと思うのですが、その時代にユニバーサル映画のテーマパークを日本に作ろうとしていたのです。その後2転3転したのでしょうか?現在の大阪にできる頃には既に退職していましたが。そのように現在皆さんが楽しんでいるテーマパークや町並みは誰かが必死に考えて、妄想して戦った結果出来上がった物なのです。つまり想像が形になっているのですね。はじめはすべて紙の上です。お見せできないのが残念ですが、さんざんテーマパークのエントランス、敷地構成、この映画が面白い、あれがいいと毎日想像と妄想の繰り返しです。そのきっかけはイメージを形に表す事です。もちろんプロフェッショナルなので、きちんとしたスケッチもありますが、10秒スケッチのような思いつきを描き綴ったラクガキの集積が大きな成果につながっていきます。そう考えると、レシートの裏に描いた何気ないスケッチやラクガキだって将来ビックな仕事になるかもしれません。これも立派な想像力なのです。だから皆さん、想像してください。妄想して下さい。描いてください。きっと頭の中には誰にもまねのできない面白い想像が浮かんでいるでしょう。「挿絵は踊る人のラクガキ」

 

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