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絵頭って何?

探す時間(旅)

探す時間(旅)

 

いろいろな考え方を身につけるには、五感をフル活用するのがベストです。

見ること嗅ぐこと触ること、つまり体全部の機関を使って感覚を取り入れ、感じたことを経験値として積み上げていけば、その積み上げがいつか物事の判断材料へと繋がっていきます。

もちろん、多くの書物を読んで他人の経験や文献も参考にしますが、僕はやはり自らの経験が多く詰まっていた方が、物事を判断するとき、良き材料として自分自身を納得させてくれると考えるのです。

今もネットの情報だけを鵜呑みにせず、僕は自分の感性でモノを見て感じることに重要性を置いているののです。

芸術やデザインのジャンルで生きている人は、ほとんどがこの五感で感じたことを排出し、形や色に置き換えて表現することが多いと思います。

感性や感覚を軸に置いた職業を選ぶ人は、自分の素直な表現を題材にして、絵を描くこと、歌うこと、踊ること、演じることに喜びを見つけ出せる能力を持っているのではないでしょうか。

では、五感をより感じるのはどのような行いが良いことなのかというと、それは旅に出る事が手取り早いのだ!と私は考えます。

僕は大学2年生の時に初めて海外旅行に行きました。

初めて訪れた国はインドネシアのバリ島という神の住む島。

この神の宿る島には、特徴のあるガルーダやガネーシャ、シヴァなど多くのヒンデゥー教の神が祀られています。

バリ島には友人3人と訪れたのだけれど、僕は初めての海外ということもあって、成田空港からテンションはマックス状態、何もかもが新鮮で、成田空港のフライトスケジュールを知らせる掲示板を見たとき瞬時に頭をよぎったのが黒柳徹子さんと久米宏さんが司会をする歌のベストテンでした。

もうこの出発前の時点で、おおお!これは!って感じです!

こんな感じでテンションの高いスタートから始まる旅行は、僕の人生の経験値を豊かにするのにぴったりな教科書でした。

バリ島という島は、正直カルチャーショックの連続で、貧富さの激しい街並みや、南国特有の人々の様子、物売りの勢いを目の当たりにすると、楽しさから胡散臭さまでが一気に押し寄せてきます。

直感的に感じたことは、テーマパーク内のアトラクションを体験しているような、そんな風景と光の光景が目の前にあったのです。

その中でも、クタというバリ島の南西部に位置する街を歩いた初めて夜は印象的でした。

街灯のない暗がりの繁華街のはずれまで歩くと、木々の間にトタン屋根とベニヤ板だ仕切られた建物が点々としていて、建物内では蛍光灯が煌々ひかり、雑然と土産物が並べてあった。

繁華街の外れはみな同じような建物で、遠目には店なのか、ただの家なのか、屋台なのか見分けがつかないような粗末な作りの建物が並んでいるのです。

80年代後半のバリ島はまだ旅行客も少なく、まだまだ整備された観光地とは言い難い光景が多く残っていました。

僕が育った東京という街は大都会で、まず大災害が起こらない限り、暮らしてく上で不自由さを感じたことのない街です。夜の繁華街で真っ暗な場所を見つける方が難しいぐらい。

だけど、今自分が立つ目の前の光景はどうだろうか。

おそらく、日本の田舎道に行ったって、ここまで雑な作りの店や家は見たことがない。(バリ島の人ゴメンなさい)

物珍しさと好奇心いっぱいでさらに歩き進めると、突然鼻腔に飛び込んできたのが焼き鳥なのか、何を焼いているのかわからない店から漂う香ばしくて甘酸っぱい香りでした。

あっという間に匂いにつられ、ふらりとトタン屋根の店に入り、食べることにチャレンジしたのです。

もちろん事前にしっかりと学習したガイドブックには、屋台での飲食は、お腹を下すことがあるので要注意との文脈があり、忘れたわけではない。

しかしガイドブックに書いてあるから、じゃーやめよっかというのならもっと都会のレストランへ行けばいいだけの話なのだ。

そこは好奇心旺盛な若造達なので、そそくさとバラックの中にある手作りのテーブルについた。

当時は英語のメニューはあったのか忘れたけど、ビールと焼き鳥、そのほか2,3種を食べた記憶がある。

アルミのペコペコのお皿の上に無造作に置かれた焼き鳥風串焼きや、フルーツサラダのようなもの、あと揚げ物もあった気がした。

さて、翌日、案の定トイレの往復。見事に大当たりだ。原因は不明。汚いコップだったのか、あのペコペコのアルミの皿だったのか、それともフルーツのようなツマミだったのかわからないが、見事にチャレンジはそのままガイドブックに書いてある通りになってしまった。

旅の疲れもあったのだろう、そんな洗礼を受けた5日間のバリ旅行から帰って数ヶ月、今度は1人でニューヨークへ行ってみることにしたのだ。

なぜニューヨークかというと、単にNYが好きだから。理由はいつも直球だ。

と言いながら、80年代はポップアートの全盛期、NYを舞台に繰り広げられたポップでいたずらっぽいアートが大好きだったのだ。

中でもキースヘリング(90年エイズによって永眠)の地下鉄に描かれた落書きが見たくてたまらなかったのだ。

80年代後半のNYは最も危険な街とされていたのだけれど、若気の至りもあり好奇心いっぱいで出発したのでした。

もちろん地球の歩き方を右脇に抱え、ハーレム街やサウスブロンクスなど危ないところは近づかないようにしながらも、よくよくガイドブックを見ると、地下鉄にはなるべく乗らない方がよ良いという情報が載っている。とくにローカルサービスオンリーの電車は観光客は乗らない方がよいといった文脈が丁寧に書いてあったのだ。

そんなこと言われてもと考えつつ、キースが絵を描いていたのは主にローカルのぼろっちい電車だった。

42stあたりから地下鉄ホームに降りたときは、まるで映画のスクリーンの中へ入り込んだような空気が感じられた。

鼻をつくアンモニア臭が漂うホームに入ってくる電車を何本か見ていると、リアルにきったない落書きだらけの電車がやってきたのだ。

まさにガイドブックによる乗ってはいけない電車だ。

確かに黒人しか乗っていないような車両は汚いのレベルをはるかに超えて、窓から中を覗くのも精一杯といったぐらい、傷とスプレーで書き殴られていた。

そんな中にあったのだ。あの雑誌や画集で見た紛れもないキースヘリングのペンキによる落書きが。

すでに上からほかの落書きが沢山重ねられていたのだけれど、紛れもなくキースのタッチだった。

これを見た時は怖いとか汚いとかいうダークでダーティーなイメージよりも、ポップアートのリアルな力強さを肌で感じ取った瞬間だった。

時代背景も手伝ってか、自分の欲しかった経験は、多くの知識と判断力、好奇心とチャレンジ力を身につけさせてくれたのだ。

このような経験は、その後僕の考え方に大きな影響力を与えている。

間違いなく異国への旅は、プラスな考えを蓄えさせてくれたのでした。