いろいろ

絵頭って何?

好きな物をひとつだけ

好きな物を一つだけ

毎日物を見ているようで、実際視覚で捕らえている物って自分が気になった物だけだと思うのです。あとは正直スルー。これが自分も含めた日常の視覚だと思うのです。赤ちゃんは見る物すべてに興味があって、身近な物は手に取って感触で味わい、口に入れて味覚で味わいます。本来我々も見ただけ善し悪しを判断せず、触ったり口にしたりして、安全かそうでないかを判断するのでしょうけれど、知識がつくとそこまでしなくても判断能力が備わり自分の興味の対象から外していきます。そんな中で、自分が興味を示すもの、大好きな物を一つだけ描いてみましょう!1分間スケッチでもいいです。10秒スケッチだけでもいいです。全体を描いて細部を描いて印象を描いていくとそのものが何かという事がわかってきます。物って本当によく見ないと勝手な判断で決めつけている事が多いのですね!最近朝散歩のときに猫の写真を撮るのですが(スケッチでなくてごめんなさい)、5時ぐらいに必ず近所を回ってえさをあげているおばさんがいるのです。その人の自転車がくると、どこからともなく猫が集まってくるのです。毎日そんな光景を目にしていると、猫っていっぱいいるんだな〜なんて、何となく思っていたのですが、いざ写真を撮ろうと思うと、なかなか見つけられないのですね。本当にあれここら辺にいたよな?って感じで、目を凝らしても、いないのです。何が言いたいのかっていうと、いると勝手に決めつけていたけど、探すといないといった経験でした。さらに興味を持って探すと、今度は一定の場所でひなたぼっこをしている事に気づきます。あ〜居心地のいい場所があるのかと。それからは猫が居心地がいいだろうという場所を探す事にしました。そうすると必ずいるのですね。興味を持つとその対象物、つまり猫から探すのではなく、猫が好きそうな場所、食事の時間帯、行動半径など気になる場所と時間を探すと見つけ出す事ができます。また猫によっては人との距離感も違います。2m以内に入るとすぐに走り出すポーズをするもの、触っても全然へっちゃらな子もいます。猫に限らず、好きな物を様々な角度から観察し、写真に撮ったり、スケッチしたりするとその対象物との距離が近くなってきます。私ももう少し近所の猫と距離が縮まったらスケッチを描こうかと思っています。自分の好きな対象物を見つけたら、様々な角度から観察してみてはいかがでしょうか。きっと知らない事だらけだと思います。もっと距離を縮めるためにもスケッチや観察日記もいいですね。これからの季節、花咲き、虫も出てきます。自然の対象物を探すのもいい季節になりました。季節のおり、ぜひ簡単スケッチをお勧めします。どーも、私はまだ猫にはすかれていないような?「挿絵は今は亡き愛犬の1分スケッチ」

1分スケッチ

 1分スケッチ

簡単スケッチを毎日続けると、いつでもどこでもさらっと描けるようになります。私の研修の話はしたと思いますが、工事現場でじっとしている事は出来ません。次から次へと作業は進んで行くので考えている暇はありません。とにかく目の前にあるものを何をしているのか?どんな流れなのか?何が出来上がるのか?全くわからない現場へ放り込まれた私は、覚えるだけで必死でした。毎日朝7時前に出社。西馬込の社員寮から5時半に起きて出る毎日です。ついたらすぐに本日の行程チェック、、社員打ち合わせ、本日の段取り、作業確認、これを8時までにすませ、8時からラジオ体操、職人との打ち合わせ、行程チェック、などなどもう戦争です。17時にすべてが終わり、そこからが本日の行程チェック、明日の行程チェック、本日の日誌、などなど会社を出れるのが早くて10時、ほとんど24時近くなり、タクシー券をもらってかえる毎日でした。もちろん休みは日曜だけ!こんな中、どのように自分の事をしようか?出来るのは本当にスケッチぐらい。1分あれば良い方です。10秒ぐらいで描かなくてはそこで何やってんだ〜って頭領からも怒られます。下っ端は監督でも怒られます。そんな日々の中工程表にずっとラクガキを描いていました。もちろん秘密ですが!職人の技術を見る事もさながらついでにどんな流れなのかもしっかり記憶して、歩きながら描いていました。こんな状況でも自分が楽しめる事を考えていないとつらいのですね!よほど仕事が嫌いだったんだな〜とつくづく思います。そうでもしていないと本当に頭ん中が真っ白になっておかしくなってしまいそうな状況でした。ま〜今はそんな状況も無くなりましたがいま改めてスケッチを見ると、あそこの場所だとか、職人の笑顔まで浮かんできます。今思えばどんな仕事も楽しもうと思えば楽しめるのですね。「挿絵は階段に流し込んだコンクリートをサカンする職人」

 

目から入る情報が9割

目から入る情報が9割

普段、我々が生活している中で目にしている物はほとんどが形です。9割以上の情報が入ってくる身の回りの物はほとんどが立体物、つまり造形でできていて、そこから視覚で捉えている立体物をこれは椅子の形、車の形、階段、標識などと認識しているのですね。しかし表現するとなるとどうでしょうか?ほとんどが文章と言葉、つまり文字で表現し、言語を使って言葉で表現します。しかし見ている物はリアルな空間と造形物です。そこで見ている物を表現に加える事ができる物が絵や写真です。先にも描いたように、絵は選択肢を持てます。好きな物を誇張して好きなように表現できるのです。よく犯罪者の似顔絵はうますぎる絵より、少しヘタな方が伝わりやすいと言います。その通りで、写真でばっちりとらない限り、毎日顔を合わせている家族の顔でさえリアルに描く事は難しいのです。ほとんどが特徴的な部分しか見ていないのですね!我々は毎日同じ場所、同じ物を見てるとします。しかし10人いたら10人違う見方をしています。実際に同じ物を描いてもらうと全く違う形、全く違った表現になるでしょう。しかし似ているところがあります。それは雰囲気です。何となくこんな感じかな?といった空気感でとらえる言葉では何とも表しがたいような表現は、見ているすべての人に共通します。そのぐらい、日常の物の記憶は曖昧で、物は何となくしか見ていないのですね。絵も同じでいいのです。何となくこんな感じで表現できるのが自分の手で描く絵なのですね。リアルに伝わらなくてもこんな感じだよね!で十分なのです。人は毎日情報の9割は造形物を見ています。今PCでこの文章を見ていると思いますが、その文章が表示されているのはPCという立体物です。文字や写真から情報を得ている事に意識が集中しているだけで、実際ほとんど目にしている物は立体的な物なのですね。そんな毎日見ている物を少しだけ気にしてみてはいかがでしょうか?表現の領域を広めるためにも簡単なスケッチを描いてもいいでしょう。描く事を意識すると、とらえる目を鍛える事ができます。特徴を捉え、大きさ、空間をとらえる事ができます。少し意識するだけで、回りにこんな物があったんだと気がつく事が多くなり、知識や表現力の幅も広がってくるはずです。 お出かけの際はペンと紙を忘れずに!「挿絵は造形物のラクガキ」

 

記憶で描いてみる

記憶で描いてみる

10分の法則では記憶力がよくなる話に触れましたが、いっその事絵を記憶で描いてみるのはいかがでしょうか?ちょっと上級者?確かにそうかもしれません。でもこれも訓練です。記憶力は年々低下していきます。朝ご飯何食べたっけ?ってお昼時に考える事もあるでしょう。若年性アルツハイマーも多くなってきています。さ〜記憶力をつけましょう。でもどうやって?私の方法は一生懸命思い出すのです。昨日の出来事を朝から順を辿って思い出していくのです。そうそう、あそこで視た物がよかったとか!もう一度視てみようとか?場面場面で記憶をたどるとそのときの情景が思い出されるはずです。それを日記に描いたのが「渡邊トシヒロのサバイバル日記」です。これは次の日の朝、必ずつけている絵日記です。面倒くさいよそんなこと!って思わないでください。私も記憶のサバイバルをしているのです。そう、忘れてしまうんです。すぐに。毎日毎日仕事に追われていると、スケジュールをこなすだけで一日が終わる事もしばしば。3月にとても悲しい感覚を味わいました。3月初めにスタートした仕事が、3月22日納めだったので、3月に入ったとたんに、22日に向かってスタートし始め、常に22日の事を考えながら打ち合わせを繰り返す日々を送っていました。ようやく収まった仕事、終わったーと思ったら、3月も終わりでした。まるでその月の季節感がないのです。気がついたら桜が咲いてました。こんなことありませんか?そう、日常は早いです。ものすごいスピードで時間は過ぎていきます。でも朝早起きして、ゆっくりと時間を追って前日の事を考えるのです。私の場合ですがそれを描き出します。絵日記として描きだすのです。こんな物視た。こんな体調だった。こんな場所へ行った。もちろん仕事だけではなく、帰りに立ち寄った場所や、食べたもの。買い物から失敗談まですべてとはいきませんが、記憶に残っている物だけを描きだすのです。これを繰り返していると何が起こるかというと、3ヶ月前の第二日曜日何してた?って聞かれて即答できる人は多くないと思うのですが、私の場合、絵日記を見ると鮮明にその日の出来事が思い出されるのです。しかも順を追って思い出せるのです。記憶は頭の中に残っていますが、きっかけがないと思い出せないものです。そのきっかけがこの絵日記なのです。読み返すとそういえばこのときこんな事やった。あ〜あれおいしかったな〜なんて、絵を見ながら思い出せるのです。もちろん写真でも同じような事を思い出すでしょう。でも決定的な違いが一つだけあります。それは気になる物だけに焦点を当てられるという事です。絵は好きな物を自由に描けるので、記憶に残った色や形で十分です。印象が残れば十分なのです。写真は必要な情報以外すべて映り込んでしまいます。欲しい情報以外にもすべてが映り込んでいるので、よけいな情報も読み取ってしまいます。ま、いい部分、悪い部分、どちらもあるとは思いますが。とはいえ、記憶力が衰え始めたなと感じたらこんな方法もよろしいのではないでしょうか?何より、後から見返すと結構笑いのネタになります。「挿絵は旅行中の記憶スケッチから」

 

10分の法則

10分の法則

毎日10分聞けば英語がすらすら話せるように!毎日10分やるだけで、腹筋が割れてくる!毎日10分やるだけで!ってフレーズ耳にした事ないですか?名付けて10分の法則。別に15分でもいいと思うのですが、切りのいい10分やれば何でもできるような錯覚に陥るのですね。でも何が大切か?継続は力なりという事です。先に描いた研修中に1分で描くラクガキを6ヶ月続けていると、ちょっと見ただけでその場の雰囲気や形を記憶する事ができます。コツは30秒真剣に見る、全体を見て細部を見て雰囲気を見て。30秒で十分です。頭の中に何となくぼんやりと記憶に残ったら、すかさず描き写すだけ。これで1分ラクガキ完成!毎日この見る行為、表現する行為をささっとやるだけでいろいろな事を習得できます。まず物をよく見るようになります。物って見ているようで見ていないのですね。例えば「自転車描いて」って言われたら、タイヤは2つある事はわかりますが、フレームがどうなっているのか迷うでしょう。答えは三角形が2つ並んでいるだけ(基本的な形)意外と見ているようで見ていないのが日常なのです。でも30秒いろいろな事を考えてみるだけで、記憶力が倍増します。また高齢者ならぼけも防止になると思います。自転車の話に戻りますが、じっと見るだけでフレームの形、タイヤの位置、サドルとハンドルの関係、ペダルの位置、おのおのを見るだけで、人がどのような姿勢で乗るのかも想像できます。一つの物を視るるだけでもいろいろな情報を得る事ができます。これを情報だけでとどめず、表現するとさらに記憶に残ります。表現する事は少しの勇気があればできます。間違っていても描き直す必要はないのです。間違った部分を記憶していなかっただけなので、わからなかった部分は次の時に補えば問題ありません。ちょっとした事でわからなかった事がわかり、表現できる領域が増えてきます。一日、10分の法則、一日、1分の法則、一日、1品の法則、何でもいいです、自分で決めごとを作り始めれば豊な時間を送る事ができるでしょう。「挿絵は、1月になくなった愛犬、チョコ」

 

リンゴのマーク

リンゴのマーク

このマークを見て、現代の人であれば誰でもアップル社のマックを想像するでしょう。でもアップル社が出現するまではリンゴと言えばニュートンの法則だったり、ビートルズだったりと、その時代時代で象徴の捉え方が変わります。もしかしたら次の時代もこのリンゴのマークを見たら「あ〜何んとかね!」とすぐに反応する物や人が現れるかもしれません。それだけ絵や図は象徴性があり、共有制があるのです。これを言葉で表そうとすると、各言語が必要になってきます。でも絵なら一つでいいのです。立派な共通言語にもなります。言葉がわからないときは下手な絵でもいいので絵で伝えようとすれば一発で欲しいもの、行きたいところ乗りたい物が伝わります。コミュニケーションの一つとして絵や図が描ければ言葉や文字と同様に表現の幅が広がるのです。細かく描く必要はありません。「リンゴをかじればアップル社」のように特徴を少しだけ押さえれば、立派なコミュニケーションができるでしょう。もちろんそこに言葉や文章が加わればより楽しいコミュニケーションが広がると思います。現代の生活は選ぶ思考になっています。気がつかないでしょうが、何かを作り出す、自分の感覚で何か行為を起こすではなく、作られた物を選ぶだけです。PCやスマホ便利な物は一点を押すだけの選択ですべてが成り立っています。だんだんと自分で何かをゼロから生み出すという行為をしなくなってきていて、そんなのめんどくさくなっちゃうのですね!そんなときはラクガキから始めましょう!ペンと紙があればいつでもどこでもかけます、しかも自由に!皆さん、自分の理想はなんですか?多くの人はお金持ちになりたい、南の島で優雅に暮らしたいというでしょう!ではその根底にあるのはなんでしょうか?自由なのですね!実はみんな自由になりたいのです。好き勝手に行きたいときに行きたい場所へ、食べたいときに食べたい物を。しかし制約があってすべてはできません。でも先に描いたように、絵ははじめっから自由なのです。自由を求めるならば、ラクガキをして自分の理想、自分の夢、何でもいいです。好き勝手に描いてこんな事がしたい、こんな贅沢な暮らしがしたい!と、好き勝手に描けばいいのです。もちろんきちんと描かなくたって自分が描いた物は自分がよく知っています。一枚のノートの隅っこに描く小さな絵からスタートしてもいいです。1ヶ月かけてノート一枚に好きな事やりたい事を描いてください。きっとその絵が自分を励ましてくれるときがくるはずです。(挿絵は、私が旅行に行くとき必ず描く持ち物リストの一部です)

 

 

 

不思議な魚達

不思議な魚達

何も考えないでペンを走らせていると何が描けますか?何も描けない?それもアリです。私の場合なぜか魚になるのです。なぜか?わかりません。釣りが趣味という事もあり、魚はよく目にするし、水族館も大好きでいろいろな魚を観察しては模様や色等をじっくり見るのが好きなんです。そんな影響なのかも知れません。ただ何も考えないで紙に絵を描くと必ず不思議な生き物を描いてしまいます。でも原型は魚。人の脳ってどうなっているんだろうと自分でも考えてしまうことがあります。意識すればいろいろなものが付属されるのですが、本当に手だけ動かしても絵って描けるんです。皆さんも何も意識しないで描いたときに何が描けるか試してみてください。ヘタでもかまいません。きっとそれが一番根底にある好きなものかもしれませんね!(挿絵は自由に描いた魚達です)

 

1989年の手紙

 1989年の手紙

HPの表紙で流れる手紙。この手紙は1989年に自分宛てに送った手紙です。スイスのチューリヒを旅行中に投函した手紙です。内容はというと、宝の地図が中に入ってるんです!笑っちゃいますね!宝の地図、何だそりゃ!と思うでしょう!これは旅行に行くと私が必ずやる面白い遊びの一つなんです。宝と言ってもたいした物は隠していません。その日に飲んだビールの王冠だったり居酒屋でもらったおつりだったりと、たいした物は隠してません。でもそんな小さな宝物をどこか人目につかない場所へ埋めてその場所を地図に託し、国際郵便で自分宛に送るのです。そんな手紙が家のどこかに散らばっています。今手元にあるのは1通のみ!あとはどこかへ行ってしまいました。隠したのは数知れず!手紙が届いていない場所もあります。イースター島からの手紙、バリ島からの手紙、ハワイからの手紙、シチリア島からの手紙、いろんな国々から送ったけどいったいどこへ行ったのだろうか?これが数十年後、誰かが見つけてその場所へいって探し当て、小銭と王冠が出てきたら面白くないですか?な〜んだって!でもそこの場所へたどり着く勇気に乾杯!そんな遊びがあってもいいですよね!もちろんラクガキの地図がはいっています。そんな地図を描いた手紙が世界中から届いたら面白いだろうなって25年前に思いついて送った手紙です。未だ誰も開封していません!これからも多分開封されないでしょう!手元にある限り。

 

ペンと紙があれば何でも叶う

ペンと紙があれば何でも叶う

絵を描くのに必要なものは、紙とペンだけ。それだけあれば十分です。後は空想を描くだけ。見た物を描くのもよし。言葉を絵にするのもよし。描く行為は自由なのです。何を描いても怒られる事もなく、間違いもないのです。文章は接続詞が違えば全く違った文章になってしまいます。でも絵なら大丈夫。線が曲がっていようが、大きさが違っていようがイメージが伝わればそれでok。もちろんきちんとした製図ではきちんとした線が必要ですが、ここで話しているのはラクガキの話。自由気ままに好きな事を自分の表現方法で表せばよいのです。いきなり絵なんて描けないという方は、近所を散歩したとき目に留まった草花や建物、猫や鳥など目につく物をさらりと描いてみればいいのです。はじめはこんな表現しか描けないと思うでしょう。でもその絵が10枚、20枚とたまると楽しくなってきます。また、見返すとその情景が思い出され記憶がよみがえります。絵を描く事は記憶力がよくなるのです。その話は後ほどとして、私のラクガキコレクションというファイルがあって、黄色い表紙の透明なポケットが40ポケットぐらいあるファイルなのだけれど、そのファイルに会議資料だの、ちょっとしたレシートの裏などに描いたラクガキをファイルしているのです。黄色いラクガキファイルは20代の後半に勤めていた会社内で描いていた物がほとんどで、50〜60冊ぐらいたまっています。時代時代でファイルにしたり、スケッチブックにしたりいろいろですが、20年経った今見返すと、面白くて仕方がありません。またそのときの記憶も鮮明に思い出されます。まだ会社に入りたてのときに研修で6ヶ月間羽田空港に配属され、現場の監督をまかされたときに、毎日毎日作業のチェックと職人さんへ指示を出さなくてはいけなく、工事現場内をうろうろとする日々を送りながら、いったい俺は何をしているのだろうと会社を辞めたくなりました。6ヶ月間の研修は途方もなく長い時間で、こんな事をするために会社へ入ったのではないと、毎日明日やめる、明日言ってやると悔しさでいっぱいの思いで過ごしていました。そんなときにそうだ気分転換に絵を描こうと思い、チェックリストの裏側にボールペンでぐちゃぐちゃにラクガキを始めたのです。はじめはむかつく気分晴らしと、見た事のない工事の光景を残しておこうという思いから毎日数枚は描こうと描いていました。しかし、じっと立ち止まって悠長に描いている暇などなく、午前中、午後、夜とやる事は無数にあり、立ち止まってかける時間は1分か2分ぐらい、あっという間の時間です。そのなかで表現できる事と言ったらラクガキぐらいしかなく、本当に見た物の形と雰囲気を描き殴るといった程度でした。そんなつらい研修も終わり、そんなスケッチをしていた事すらも忘れたある日、ふとラクガキファイルを見るとものすごいスピード感のある絵に目が泊まると突然そのときの情景が浮かんできました。あのつらさの中描いた絵が今となっては何だこれって感じで笑えるぐらい雑な絵でした。それでもそのときは死活問題ぐらいの状況の中で残したスケッチは今でも大切にとってあります。自分の何気ないスケッチやラクガキは時代時代の情景を鮮明に思い起こさせてくれます。時間が立てばつらかった事も笑い話になります。自分がやりたかった事、しなくてはいけない事を絵やラクガキで残すと、すっと記憶の中にとどまり、見るたびにその頃の思いをよみがえらせてくれます。そしていつか思い出が現実につながっていきます。一日一日がとぎれとぎれなように思える毎日ですが、続けていく事ができる行為を持てば、いつか強い力になってかえってきます。たとえそれがラクガキであったも20年もたつと立派なイメージのコレクションになるのです。お金をかけなくても自分が楽しめることは、自分で作り出す事が一番だと気がつく瞬間がそこにありました。(挿絵は昔作っていた家具のスケッチです)

 

絵を描くのは難しくない

  絵を描くのは難しくない

絵を描くというと少なからず抵抗を受ける人が多いはず。幼い、恥ずかしい、へたくそ。それぞれ様々な理由で絵を描かなくなっているとおもいます。でも少なくとも小学生までは皆さん、一生懸命描いていたはず。今日もデパートの地下を歩いていると壁面一面に「私のお母さん」というタイトルで、1年生から6年生までの絵がずらりと並んでいました。1年生は1年生なりに、6年生は6年生なりのすてきな絵が飾ってありました。さすがに現在48歳の私は母の絵は描きませんが、子供たちの描く母の絵を見ていると自然と顔がほころんできます。絵には人の気持ちを安らげる効果があるのです。もう一つ、先ほどありがたい手紙を2人から受け取りました。メールという方法も選択技にあると思いますが、はがきや手紙で送られてくるととても新鮮でした。出版のコーディネータをされている方からの手紙だったのですが、自分のかわいいイラストが最後に描かれていて、とても暖かさが伝わる手紙でした。文章だけのきれいな文字で綴られるはがきや、写真もすばらしいですが、ご自身でちょっと描いた自分のイラストがあると、すごくその方の情景が浮かんできます。絵は確かに描く事自体勇気がいる事ですが、ヘタでいいのです。面白おかしく伝われば十分です。メールのOsaka書体ので綴られる一辺倒の文章より、手紙で送られる限られた文面に小さなイラストが描いてあると本当に相手の心温まる気持ちが伝わってきます。皆さんもぜひ一度手書きのよさを試してみてください。(イラストは、ホテルの扉から眺めた風景です)

 

 

 

絵は便利な道具

絵は便利な道具。

コミュニケーションの道具として言葉を話すのは当然の事。しかし、お互いが抱くイメージはお互いが納得いくものだろうか?ましてや言葉の違う外国人とのコミュニケーションや、職種の違う人たちとの話の中でお互いが同じイメージを抱くのはなかなかぴたりとかみ合う事は難しいでしょう。でもさらりとヘタでも絵が描ければどうでしょうか?絵で描いたものは視覚で伝わるので、感覚ではありません。明快な図としてお互いの認識になるのです。以前、富山に出張に行ったときに、ホテルの駐車場に車を止めたいので「駐車場はどこでしょうか?」 と訪ねると「ホテルの裏側の交差点を左折して、2本目の路地を入った奥のエリアが当方の駐車場になります」といわれ、車で行くも全くわからず。駐車場だらけでどこがホテルのエリアかもわからず、もう一周してホテルへ戻り、「よくわからないのですが?」と言うと、「メモに簡単にここに自販機があるので、その先の路地を曲がった奥の方です」と簡単な図を描いてもらったら、一発でたどり着きました。言葉は正確な情報を話してもイメージは勝手に明確な路地が2本あるものだと思っていたのでした。その地図に描かれていた路地は本当に細く、車が1台やっと通れるような路地で、東京の感覚で2本目の路地を左折といった感覚では明らかに見過ごしてしまう路地でした。路地の先にはホテルの名前がでかでかと描かれた駐車場がありました。「もっと手前に描いてくれよ」とつぶやいたのは言うまでもありません。絵を描く事は難しい事ではありません。ヘタでいいのです。絵を描くイコールうまいヘタではなく、コミュニケーションのツールの一つと感あえれば、伝われば十分です。そのために絵や図を描く事を意識すれば、今まで以上にコミュニケーションがうまくいくはずです。

 

絵を描くという事

 

 絵を描くという事

絵を描くという事はなかなか大人になるとしませんね!そうなんです。その手の職業でないとなかなかしないのです。と思っていたら先日、日本赤十字のイベントをお手伝いした時の話です。表参道で行われたイベントの担当部署が総務部だったのですが、担当の池山さん(名前出してごめんなさい池山さん!)がほとんど絵で会話する人だったのです。「このイベントでこんな感じの物を作りたい!」「こんな感じ」とすらすらと絵を描いてくれたのです。もう一発でイメージ伝達終了です。細かい修正は数あれど、基本的なイメージはやはり絵で描いた方が早いと言う事を実感しました。また、池山さんは絵がうまかったのでよかったですが、わたくしのラクガキでも「あ!そんな感じです、絵うまいですね」ってほめていただきました!まーそれはそれとして絵というのは本当に伝える事が一瞬で通じるすばらしい手段だと感じた瞬間でした。ちらりと手帳をのぞいたのですが、手帳の中にはたくさんの絵が描いてありました。デザイナーやアーティストでなくても自分だけが人に伝える手段として絵を使っている人が身近にいる事を実感する瞬間でした。(挿絵はタヒチの空港で描いた太ったおじさんのラクガキです)

絵頭って何?

絵頭「えあたま」は物事を想像するときにズバリ、具体的な映像を思い浮かべる事です。例えばご飯を食べるとき、今日はラーメンを食べたいと思ったとき、具体的に頭の中にどんなラーメンなのか?みそ味か醤油味かそれとも塩味なのか?その次に今まで食べたお店が浮かんでくると思います。その浮かんでくる映像こそがビジュアル脳なのです。脳裏に浮かぶ物は誰でも表現する事ができます。具体的に表す言葉ならば、例えば「今日は大勝軒のラーメンが食べたい」となるはずです。これを映像で思い浮かべるとより食べるイメージが強くなり、既に大勝軒のラーメンを目の前にした感覚を具体化するための行動に移る事でしょう。これを日常で我々は自然に行っているのです。つまり、今日はラーメンが食べたいので「大勝軒」に食べにいこう!という行動になります。この絵頭をいろいろな場面で活用する事で具体的な行動を引き起こそうそうすれば、人と人、人と物、人と場を上手につなぎ合わせてくれるはずです。しかしただイメージするだけではいけません。なぜならば、思考はすぐに消えて忘れてしまうからです。考えている事を持続するのは実は非常に難しい事なのです。「今とてもいい事を考えていたのに」って思っていても違う行動をとると、「あれ?今考えていた事何だっけ」ってなる事もしばしばあるでしょう!そこで活用するのが「ラクガキ」なのです。気負わず気軽にさらさらっと描いておけば、言葉より具体的な頭の中に浮かんだイメージを書き出せるからです。もちろん絵はうまいにこした事はありません。しかしすぐにうまく描くのは難し。難しい事はしたくない。そうならないためにも「ラクガキ」でよいのです。簡単にイメージした物を描き出すだけでよりイメージが鮮明になる事を実感できるでしょう。「挿絵は、旅行先で飲んだジュースを描いた絵です」

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日本のアートをご紹介

外国人向けにインバウンドサイト作りました。

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挿絵

とある小説の挿絵 1

とある小説を5年前に描いた時、絵も入れようと絵を描き始めたら絵が面白くなってしまい、挿絵に2週間もかけてしまい、結局どっちがメイン何だかわからずとりあえず、数枚描いたものがこの地下都市。

とある小説の挿絵 2

とある小説を5年前に描いた時、絵も入れようと絵を描き始めたら絵が面白くなってしまい、挿絵に2週間もかけてしまいました。大きな未来都市の一部を描いたものです。

とある小説の挿絵 3

とある小説の挿絵です。表紙に使った山の絵です。

指定なし

頭の活性はブラブラが一番

頭の活性はブラブラが一番

ブラブラ好きの私としては、机に座って物事を考えるのはあまり得意ではありません。もちろん作業としてはずっと机にかじりつき、PCと格闘しているのですが、大元の発送はどこから生まれるのかというと、ブラブラしている時が一番アイデアが浮かんでくるのです。日常目にするものの情報は膨大ですが、意外と人は見ているようで見ていないでは、と私は思うのです。この何となく見ているようで、見ていない、ボーッとでもないけれど、雑然とした情報が流れている中である時思考がリンクするのです。あ〜それそれって感じで、そんな時は走り描きしたり、スマホ取り出して単語だけ書いたりと、きっかけだけを書き出して後で思い出せるようにしておくのです。例えば色を決めたいときも、色帳をぺらぺらめくっていてもあまりピンと来ませんが、ショップに入って、ある一角の雑然とした色を見ていると、そこにはトータルの組み合わせが存在しているので、色自体の選択と配分が何となくビジュアルとして頭の中に記憶されます。これが絵頭の思考なのですね。この何となくがけっこう大事で、ぼんやりから少しずつピントがあってきて、またピントをそらしながら焦点を定めて行くような感じです。そうするとピンポイントというより、全体像のイメージがかたまり、そこからピンポイントに落として行きます。仕事もそうですが、欲しいものもそんな感じです。これが欲しいって思っても、今の生活のライフスタイルと外れているとおそらく私の場合使わなくなってしまうので、持っているものから全体の全体の完成像を描いて、そこにかけたピースを当てはめて行くようなイメージです。その規模が小さかったらその外側の大枠を考えて、そこが埋ったらさらに大きな枠で捉えて行くように、常に頭の中にはボーッとしたふんわりイメージがあるのです。東京の街は少し歩かないと、次から次へと新店舗が誕生し、あれこんな店あったけ?というより、この店前は何だっけ?という想像の方が頭の中を駆け巡ります。そんなめまぐるしい街をブラブラするのか想像の原点のような気がするのです。「挿絵は飛行機のラクガキ」

 

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